都内3LDK大学生

徒然なるままに…旅行先でのこと、バイト先の情報、ふと思ったことなどを書いています。

スタバのNeighborhood&coffeeに行ってみた

原価百円のコーヒーを飲むよりも、原価三百円のコーヒーを二百円で飲む方が、満足感が大きい。自分が支払う額の大きさそのものよりも、商品の価値とそれに対する価格を自分の中で比べてたうえで損得を考えてしまう。なんともいやらしい女だ。

そんなわけで私はバイトの社割を存分に利用してカフェに居座るのだが、

その日歩いていた街にあったカフェは、見慣れたセイレーンのロゴマークを掲げていたのに全然違った。

まず、外観が違う。

街に溶け込んでいた。ほかのお店は遠くからもはっきりと存在感を感じるほどに主張が強い店舗が多いのだが、そこはまるで存在感が感じられなかった。それでいて、不思議と興味を引く外観。

f:id:pippils:20180627214727j:plain

メニューも違った。まず値段が違う。高い。

しかし私には社割がある。おそれずに入ってみた。

f:id:pippils:20180627215231j:plain

バナナチョコレート&アイスクリーム(¥700+Tax)

とチョコレートブラウニー(¥350+Tax)

幸せな時間が過ごせた。精神的に疲れているときや自分にご褒美を上げたいときにぜひまた来たいと思った。

お店に入った瞬間にテンションが上がり、調子に乗って、ネイバーフッド&コーヒー限定のカードまで作ってしまった。だって全国の8店舗でしかないレアなやつだって教わったんだもん。所詮、限定に弱いのである。

f:id:pippils:20180627214832j:plain

f:id:pippils:20180627215024j:plain

はあ、美味しかった。

社割が使えるうちに気になるドリンクは飲んでおくかと思っている。

もし、この記事を読んでいる人でこのメニューが気になっている!でも家の近くにお店はないし。あるけど、面倒くさいし。そんな暇はないんだ。という人はふらーっとコメントを残していただきたい。私も私で、自分にご褒美をあげたくなったタイミングでまたお店を訪れた際にはそのドリンクを頼んで、記事にしようと思う。

 

 

 

美容室で「お任せで」と言える心理

私は注文が多い客だ。

全体的に7cmほど短くして、ローレイヤーを入れてください。夏なので、量を減らして軽めにして欲しいです。

色はアッシュ系で透明感のある感じ。

色が抜けやすいので抜けても綺麗な色が続くようにお願いします。バイトの規則があるのでそんなに明るすぎない感じでお願いします!

 

なんと面倒なことを私は頼んでいたのだろうか。文章に起こしてみて改めて気がついた。、この人絶対頭の中に明確なイメージ画像があるじゃないか。画像を用意しておけ。

対して分かりやすい説明をしているわけでもないのに、少しでもイメージと違うと怒り出すパターンの人じゃないか。

まあ、私は基本あまり感情を表に出すタイプではないので、

こんなに注文はしつつも、イメージと違っても怒り出すことはまずない。

 

しかし、それに比べてどうだ。

美容室で「おまかせで」と言える人は。

存在を知った時、私はとても驚いた。どんな髪型にされても私なら似合うという絶対的な自信があるのか。私は髪型なんてどうでもよいの、どんな髪型であろうと私は私よ。ということなのか。

それとも髪のことはプロに任せて、自分が口を出すところじゃないわ。ということか。

いずれにせよ、なんなんだその余裕は。どこからくる余裕なのか。

なんか、かっこいい。

自分の意志を一切口に出していないにも関わらず、とても意志の強さを感じる。

私なんかよりもずっと確立している自分がある気がする。

いつか私も「お任せで」という余裕ができる日は来るのだろうか。

ハムスターほど脳みその容量が少ないとむしろ知能指数は高い気がする

先日ぼーっとハムスターを眺めていた。

なぜか魅きつけられた。見知らぬ顔がカゴのすぐ外に突然現れてじっとこっちを見ていることに警戒していたのだろうか、ずっとそわそわしていた。

歩き回ったりカゴをよじ登ったり、時には顔を洗うようなそぶりをしたり。

 

カゴの中には数匹のハムスターがいた。

1匹のハムスターがカゴをよじ登っているその隙に、もう1匹のハムスターがその真下にうずくまった。1匹はまっすぐ天井を見上げ、1匹はじっと床を見つめている。おそらくお互いの存在に気がついていないのではないか。

案の定、カゴを登っていた方が地面に降りてきた時、着地したまさしくその足場にもう1匹がいた。

顔を踏みつけられても、おそらく全体重が一瞬 ほっぺたあたりにかかっていたが、まったく怒らない。

怒りの感情がないのか。そもそもどんな感情が今この瞬間 浮かんだのだろうか。

ハムスターにも痛みを感じる神経はある。痛みを感じると暴れるし悶える。

では、今の出来事は。

今のは完全にお互いにとって不慮の事故だった。一方にとっては未必の故意であっただろうか。とにかく、痛い思いをしたのは床を見つめていた方で、悪いのは天井を見上げていた方だ。

私は人間の中では穏やかな性格をしている方である。相手から悪意のない被害を受けても怒らないし、そもそも怒りの感情が沸き起こらない。

床を見つめていたハムスターと同じではないか。

どちらかが悪いわけではない状況下で、自分だけ被害を受けた。しかし、そこは冷静に相手に非はないことを理解し、相手に怒りをぶつけることは見当違いであることを認識してしている。

実際はそんな場面に遭遇したら、そんな思考回路は辿らないどころか、なんの感情も浮かばない。

一言。あー、大丈夫です。

服を汚されたり怪我をさせられたりしたら洗濯が面倒だなとか傷痕が消えるまでどれくらいかかるかな、とは思うがそれでも怒りは浮かばない。

おや、やっぱり なんの感情も浮かばないのではハムスターと同じではないか。

もちろん、床を見つめていたハムスターが天井を見上げていたハムスターには非がないことを理解し、相手に怒りをぶつけることは見当違いであることを認識してある可能性もなくはない。いや、やっぱりないだろう。だって脳みそがあんなに小さいのだから。

ではやっぱり、私はハムスターとは違うのか。

まあ、小学生の頃から勉強しろといわれ、塾にまで通わされていたのに、ハムスターと同じ知能指数だとは言われたくはない。

それはさすがに私でも怒っちゃう。

人体展に行ってきた

なんだかテストが終わり、ずっとテスト期間にやりたいと思っていたことにも全然魅力を感じなくなってしまい、

もうなにもしたくない、廃人のような思考経路ができてしまった。

記事を書こう。

 

6月16日土曜日、私は上野にいた。

目指すは国立科学博物館。人体展。

最終日の前日だった。

大体12時ごろに行ったのに、70分待ち。まず、整理券を手に入れなくてはいけなかった。こんなのは初めてだ。

人体展はどのエリアも満員電車のようだったが、それゆえ、至近距離で繰り広げられる人々の会話は面白かった。

展示物はどれも専門的な内容かつ添えられている説明はどれも簡単なものだった。

それゆえ、その展示物を目にした人々の感想は人によって大きく違う。

医学部の学生仲間、なんだか人体って面白そうだからとやってきた若者、意識高い系の親と子、など。なんだか偏りがあるように思えなくもないが、本当に様々だった。

純粋にゴリラの筋肉にめちゃめちゃ興味を示す彼氏と全く興味を示さない彼女はかわいらしかった。

全然わからんな~と言いながら、蝋製模型の前からずーっと動かないおじいさんにはどいてほしかった。

 

それにしても顕微鏡でのぞいた画像にイメージで色を付けた画像はとても美しかったので、学校の授業ではぜひとも活用してほしいと思う。

f:id:pippils:20180617210856j:plain

f:id:pippils:20180617210910j:plain

f:id:pippils:20180617210919j:plain

f:id:pippils:20180617210957j:plain

 

 

加賀棒ほうじ茶フラペチーノの加賀棒ってなに

スターバックスで最近かなり頻繁に出ているほうじ茶系フラペチーノ

たしかにほうじ茶を選んでおけば、女性はもとより、幅広い層が食いつくのは間違いないが、いささかほうじ茶に頼りすぎではないか。

と思いつつも飲んでみた。

 

甘い、がさっぱりしている!

なによりホイップの上にかかっているほうじ茶茶葉の香りが芳醇。

下にほうじ茶ゼリーとホイップ、ホワイトチョコレートソースが入っているのが

崩したコーヒーゼリーのように絡まり合っていて絶妙。

フラペチーノ自体にシロップは混ぜられていないのでけだるい甘さがないのも良かった。

 

やっぱりほうじ茶は美味しい

これまでのほうじ茶は茶色い方のイメージだとしたら今回のほうじ茶は濃緑の方のイメージ。

税込669円という学生を完全に無視した価格だけあって、さすが加賀棒だった。

ちなみに加賀棒の加賀は石川の能登の南にある土地の地名で、棒ほうじ茶はブランド名です。

どうやら隣人は変みたいだ

私は今のマンションに引っ越してからかれこれ1年と3ヶ月ほど経つが、

隣人の顔を見たことがない。

 

顔を見たことがないので、こちらとしては

隣人について語るときは想像上の隣人像であるのだが。

 

そもそも、顔を合わせる機会は幾度となくあった。

しかし、いずれも失敗に終わった。

そもそも、引っ越しの挨拶に訪れた際、となりの家に隣人はいた。在室していた。しかし、出て来てくれたのは息子の1人のみ。

忙しい、とのことだった。

 

隣人とはマンションの共同廊下で繋がっているが、隣人の廊下の前は物で溢れている。子供用の自転車やサッカーボール、大量の傘など。

どうやら子だくさんのようだ。

マンションの壁はしっかりしているので子供の声は聞こえない。

いったい、何人家族なのだろうか。

 

先日、いつも通り、清々しい朝を迎えた私は

大学へ向かおうと玄関の扉を開けマンションの共同廊下へ踏み出すと、そこは血だらけだった。

絶句。

エレベーターから続く血痕は隣人の玄関の扉につながっていた。

明らかに鼻血ではない量の血。

昨晩、隣人は地球を征服しに来た未確認生物と大乱闘でも繰り広げて帰宅したのだろうか。

遮断機の降りた線路の中に取り残された老人でも助けようとしてのだろうか。

いずれにしろ、血は拭け。

怖いから。

 

後日、隣人はそのことを詫びに来たようだが、私はちょうど出かけていた。

また隣人を目にする機会を失ってしまった。

 

 

突然知らない人を養わなければいけないらしい

大学の授業というものは90分で構成されている。そして80分も経過すれば、大概飽きる。そんなタイミングで50過ぎの教授(小洒落たミモザ柄のネクタイをしていたが娘がくれたのだろうか)が突然聞いてきた。

”病の人を救いたいですか?”

”もし、あなたが目の前にいる重症患者の命を救う薬を持っていたとします。助けたいですか”

なにを言っているの。愚問じゃん。

あなたの目の前に座っている学生たちは薬学生だぞ!医療の道を志しているんだよ!。

変なこと聞いてないで、授業が終わったのなら、さっさと帰らせてよ。

 

”その患者は、この薬で命は救えますが、外で元気に運動することはできません”

”外へショッピングへ行くこともできないかもしれません”

だからなんなの。外で遊ぶことができないなら、やっぱり治療は大丈夫です。なんていう人がいるの。ショッピングがその患者さんの人生すべてなの。先生、あなたは病んでいるの。命とは何かを考え続けて涅槃に入ってしまったの。

 

”その患者さんは働くことはできません”

”その患者さんが生きていくためのお金は税金から支払われます”

”助ければ助けるほど、国が養わなければいけない人が増えていきます”

……そういうことか。なるほどね。

命は何よりも大切だと思うけど、命が救われればすべてが良い方向に進むわけでないことも確かですよね。医療費削減、最近毎日聞きますよね。

 

”あなたが助けた患者さんは、あなたたちが養わなければなりません”

”でもあなたたちは医療人です”

私にはムズカシイ、とりあえず、あれだ、スタバ行こう。

ストロベリーフラペチーノ飲んでから考えよう。