かっこよさ より 可愛らしさ だと思う
可愛いを武器にしている男はずるい。
小学校低学年まで、子供はみんな可愛い可愛いと言われて育っただろうが、思春期を経て男子達はだいたいみんなカッコいいを目指す路線にシフトしたはず。
二十歳を超えてきて、再び可愛いを求めているのか。
普段は可愛いを感じさせない男性に可愛さを感じた時、私はその人の本質が見えた気がする。
“かっこいい”はその人への尊敬や憧れの念から生まれる感情であると思う。それは、多くの場合、相手の行動や振る舞いなど相手が意識的に行ったことだ。
すでに動作が染み付いていて、無意識に“かっこいい”人もいるだろう。
しかし、そうでない人も、頑張り次第ではカッコ良くなれる。
それに対して、
“かわいい”はその人が無自覚、無意識のうちに起こした行動に対しての感情である。普段はしっかりしている先輩が飲み物をこぼしてしまって、あたふたしている姿。寝起きでぼーっとしている姿。コンビニでカルピスにしようかコカコーラにしようか迷っている姿。
なんとも可愛らしい。
その可愛らしさは、頑張ったところで習得できるものではない。少しでもあざとさが出てしまってはダメだ。
それなのに、最近は自ら可愛いを武器にしている男が多い。
普段から“可愛い”と認識していない人がふと可愛らしく見えるからいいのであって、
日頃から自分は可愛いとアピールしてこられては、こちらとしてもどうしようもない。
その人の本質を見極めることは難しい。そもそも他の男とは土俵が違うのである。
新たな尺度を見つけなくてはいけない。